2026年6月11日木曜日

離島勤務が土台になった——熊本地震・災害医療へ【離島医療シリーズ⑧・完結】

 こんばんは、田浦マインドです。

離島医療シリーズ最終回は、離島・僻地での勤務経験が「その後の自分」にどうつながったかをお伝えします。


離島から災害医療へ

2016年4月、熊本地震が発生しました。

私が現在の病院に赴任して1年ほど経った頃です。

救急科の医師から声がかかりました。「明日から熊本地震の支援に行きたい。薬剤師も必要だ。一緒に来てほしい。」

迷わず「はい、力にならせてください」と二つ返事しました。


なぜすぐに「はい」と言えたのか

鹿児島・離島・僻地で10年間勤務した経験が、私を即答させてくれたと思っています。

  • 薬が届かない状況での対応経験
  • 一人で全ての業務を判断してきた経験
  • 予測不能な事態に柔軟に対応してきた経験

離島勤務は、ある意味で「小さな災害」の連続でした。

年末年始に薬が入ってこない。台風で欠航が続く。深夜に急変患者が来る。島に薬剤師が自分一人しかいない——。

こうした経験が積み重なって、「どんな状況でも何とかしてみせる」という自信になっていました。


離島勤務が私の薬剤師としての土台

振り返ると、沖永良部島・山川病院での合計6年間の離島・僻地勤務は、私の薬剤師人生の根っこになっています。

自分で考える力 答えをすぐに誰かに聞けない環境で、自分で調べ、判断し、行動する習慣がついた。

幅広い業務知識 DI・発注・棚卸し・麻薬管理・病棟・NST——全てを一人でこなしたことで、薬剤師業務の全体像が見えるようになった。

人とのつながり 全国から応援に来た医師・看護師・薬剤師との出会いが、今も続く大切な財産になっている。

挑戦する姿勢 「離島にいるからできない」ではなく「どんな環境でも挑戦できる」という信念が生まれた。


薬学生・就活生へ——離島・僻地勤務を選択肢に

「離島勤務」と聞くと、不安や抵抗を感じる方もいると思います。

でも、あの2年間がなければ今の自分はありません。

閉塞感や孤独感、薬が届かない不安……辛い経験もたくさんありました。それでも振り返れば、全てが宝物です。

「やる気があれば、どこでも何でもできる!」

これが、私が離島から学んだ最大のメッセージです。

もし離島・僻地勤務に少しでも興味があれば、ぜひ一度見学や短期応援から体験してみてください。必ず、あなたの薬剤師人生の大きな糧になると思います。


離島医療シリーズ 全記事まとめ

全8回にわたってお届けした「離島医療シリーズ」はこれで完結です。

① 沖永良部島で薬剤師として働いた2年間 

② 離島に薬が届かない!薬の欠品危機 

③ 深夜5時のオンコール「心筋梗塞の患者が来た!」 

④ 「島から出られない」閉塞感と本音 

⑤ 離島薬剤師は「なんでも屋」!幅広い業務と成長 

⑥ 「退院はゴールじゃない」地域医療の原点 

⑦ 徳洲会グループが離島医療を支える仕組み 

⑧ 離島勤務が土台になった——熊本地震・災害医療へ(本記事)

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!


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徳洲会グループが離島医療を支える仕組み⑦ 

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2026年6月10日水曜日

徳洲会グループが離島医療を支える仕組み【離島医療シリーズ⑦】

 こんばんは、田浦マインドです。

離島医療シリーズ第7回は、私が所属していた徳洲会グループが離島医療をどのように支えているかについてお伝えします。

「なぜ離島でもあれほどの医療ができるのか?」——その裏側に迫ります。


徳洲会グループの創設者と離島の深いつながり

徳洲会グループの創設者・徳田虎雄先生は、鹿児島県の離島・徳之島のご出身です。

先生が小学3年生の時、3歳の弟が夜中に医師に診てもらえず亡くなりました。

この経験から「貧乏でも、たとえ真夜中でも、患者さんを診る医師になる」と決心し、医師になり徳洲会グループを創設されました。

「徳洲」という言葉自体が「徳之島」を指す言葉でもあります。

離島医療への強いこだわりは、グループの原点そのものです。


全国92病院の中に離島・僻地20病院

徳洲会グループは全国に92病院を展開しています。

そのうち離島11病院・僻地9病院、合わせて20の離島・僻地病院があります。

屋久島・種子島・徳之島・沖永良部・与論・宮古島・石垣島など、鹿児島〜沖縄にかけての離島に多くの病院が点在しています。


毎月40名の薬剤師が応援に行く

薬剤師が充足していない離島・僻地の病院には、グループ内から応援薬剤師を定期的に派遣する仕組みがあります(原則2ヶ月交代)。

その規模は——毎月約40名。

  • 2022年度:22病院・40枠・12,810日

これだけの人数が継続的に応援に行くことで、離島の医療が成り立っています。

「僻地・離島医療は、徳洲会の大きな使命」——この言葉は、数字が証明しています。


「徳洲号」というセスナ機がある

徳洲会グループには**「徳洲号」**と呼ばれる6人乗りのセスナ機があります。

離島の各病院が維持コストを分担して所有するこのセスナは、主に救急患者の移送や定期便欠航時の医師移動に活躍しています。


2つの離島運営方式の違い

離島医療の運営方式には大きく2つのアプローチがあります。

①A方式:「初期治療して本土へ送る」

  • 手術設備なし、CT程度の設備
  • 重症患者はすぐに内地の病院へ搬送
  • 医師確保がしやすい

ただし患者さんは「内地に行ってください」と言われ続け、経済的・精神的負担が大きい。悪天候時には搬送できず、命の危機になることも。

②徳洲会方式:「医療を島で完結させる」

  • CT・MRI・手術設備を整備
  • できる限り島内で治療を完結させる
  • 必要最小限の患者だけ島外搬送

患者さんが島を離れる必要がなく、安心して暮らせる。ただし医師の確保が難しく、高いスキルが求められる。

島民にとってはもちろん「島で医療が完結する」方式の方が安心できます。徳洲会はこの難しい道を選んでいます。


連携の強さが離島医療を救う

私自身、離島勤務中に何度も「グループの仲間に助けられた」と感じました。

わからないことがあれば他のグループ病院に相談できる。書類作成や監査対応も仲間がサポートしてくれる。

「困った時は助け合う」——このグループ文化があったからこそ、離島でも安心して挑戦できました。


まとめ

  • 徳洲会グループの創設者・徳田虎雄先生自身が離島出身
  • 全国92病院のうち20病院が離島・僻地
  • 毎月約40名の薬剤師が応援に行く仕組みがある
  • 「医療が島で完結する」方式を目指すのが徳洲会の理念
  • グループの横のつながりが離島勤務を支えている

次回は、離島勤務を経て熊本地震の災害医療支援に参加した経験についてお伝えします。


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「退院はゴールじゃない」離島で学んだ地域医療の原点⑥ 

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2026年6月9日火曜日

「退院はゴールじゃない」離島で学んだ地域医療の原点【離島医療シリーズ⑥】

 こんばんは、田浦マインドです。

離島医療シリーズ第6回は、離島で感じた「医療の原点」についてお伝えします。

私が離島勤務を通して一番変わったこと——それは患者さんとの関わり方への考え方です。


急性期病院での医療の限界

都市部の急性期病院で働いていた頃、私の中の「ゴール」は患者さんの退院でした。

入院してきた患者さんに薬を届け、服薬指導をして、無事に退院してもらう。退院してくれたら「よかった」と一息つく——それが当たり前の感覚でした。

でも、退院後どうなるかは、あまり深く考えていなかった。

急性期病院では、入院したと思ったらもう2週間後には退院。その間にどれだけ関われたか、どれだけのことをしてあげられたか……というもどかしさはありながらも、次の患者さんが来るという繰り返しの毎日。


離島では「退院≠ゴール」

沖永良部島で働いて、この感覚が大きく変わりました。

島では、患者さんは退院した後も同じ島に暮らし続けます。外来に来る時も、在宅になった時も、ずっと同じ顔ぶれです。

退院後に「あの患者さん、今どうしてるかな」と自然に気になる。

島で顔を合わせれば「最近調子はどう?」と声をかけ合える。

いつの間にか、患者さんが家族の一員のような存在になっていました。


お母さんのお腹の中から、看取りまで

離島医療の理想形として、こういう言葉があります。

お母さんのお腹の中にいる時から出会い、生まれ、時には入院し、退院後も外来や在宅医療を通じて、ずっと患者さんとの関わりは続いていく。

①産まれる → ②病気が見つかる → ③治療 → ④終末期 → ⑤看取り

この全てのステージに、同じ医療従事者が関わり続けられる——それが離島医療の原点です。

人口が限られているからこそ、人との関わりと結びつきが都会とは比べ物にならないほど深くなります。


島では産婦人科も守り続けた

沖永良部病院では、産婦人科が存続の危機を迎えたことがありました。

常勤の産婦人科医が高齢となり、代わりの常勤医が確保できないという理由で、産婦人科休止の方針が出されたのです。

「島の産声を守る会」が署名活動を始め、行政への支援要請も行われました。

しかし実際に常勤医を探し奔走したのは当時の院長先生自身であり、徳洲会グループの産婦人科医が3〜7日おきに応援に来ることで何とか運営を続けました。

行政の補助を受けずに、医師たちの情熱と徳洲会グループの団結で守り続けた産婦人科——この話は、今でも私の胸に刻まれています。


「飲みニケーション」の原点がここにある

少し話は変わりますが、離島での人間関係について。

最初は奥手だった島の人も、お酒を一緒に飲めばすぐに友達になります。

飲み会が多い、歓送迎会がある、応援に来た医療スタッフとご飯を食べに行く——仕事とプライベートの境界が自然と薄れていきます。

限られた空間の中で人と深く付き合えることは、離島勤務の大きな魅力のひとつ。

ゲレンデマジックならぬ「島マジック」という言葉もあるくらいです(笑)。解放的な自然の中で、普段は気にもしなかった人がとても輝いて見える——離島や応援先で恋人ができることも、意外と多いのです。


まとめ

  • 都市部の急性期医療では「退院がゴール」になりがち
  • 離島では退院後もずっと患者さんと関わり続ける
  • 産まれてから看取りまで、生涯にわたって寄り添える医療
  • 人口が少ない分、人との結びつきが深く温かい
  • 「島マジック」が生まれるほど、人と深く関われる環境

次回は、離島医療を支える組織・徳洲会グループの仕組みについてお伝えします。


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離島薬剤師は「なんでも屋」!幅広い業務⑤ 

薬剤師になって良かったこと・大変なこと本音 

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2026年6月8日月曜日

離島薬剤師は「なんでも屋」!幅広い業務がもたらした成長【離島医療シリーズ⑤】

 こんばんは、田浦マインドです。

離島医療シリーズ第5回は、離島薬剤師の「業務内容」と、そこから得られた大きな成長についてお伝えします。


離島では「全部自分でやる」

大きな病院では、薬剤師の業務は役割分担されています。

  • DI担当(薬の情報収集・提供)
  • 発注担当
  • 棚卸し担当
  • 注射調製担当
  • 病棟担当

それぞれの専門担当がいて、効率よく動く仕組みになっています。

しかし離島では違います。

幅広い業務を一人でこなさなければなりません。

麻薬の購入・廃棄・取扱い、薬品管理、基本発注、新規採用薬の検討、医薬品卸・メーカーとの交渉、病棟対応——これら全てが自分の仕事です。

大きな病院で2〜3年目では「まだ任されていない」ような業務も、離島では日常的に自分で判断しなければならない。

最初は不安でいっぱいでしたが、振り返ってみるとこれほど凝縮した薬剤師業務の経験はなかったと思っています。


「困ったらグループに相談する」文化

「全部自分でやる」とはいえ、孤独ではありませんでした。

診療報酬改定の資料作成、保健所の立ち入り調査、地方厚生局の監査——都市部の大病院でも大変なこれらの業務も、徳洲会グループの仲間が必ず助けてくれました。

グループ内での横のつながりが非常に強い組織なので、「これ、どうすればいい?」と連絡すれば、必ず誰かが助けの手を伸ばしてくれる。

この文化のおかげで、離島勤務を乗り越えることができたと思っています。


方言がわからない!でも大丈夫

離島業務でエピソードもうひとつ。

島のお年寄りの方と話すと、方言が全くわからないのです(笑)。

「え、今なんて言ったんだろう…」と困っていると、必ず近くにいる人が通訳しに来てくれました。

島の人の温かさを感じた瞬間のひとつです。


応援に行く時の注意点:はさみは没収される

これは後輩に絶対伝えたいことです。

飛行機で離島の病院に応援に行く際——調剤用のはさみを機内に持ち込まないでください!

持ち物検査で引っかかり、没収されます。

私自身、4回応援に行って2回没収されました(笑)。はさみがないと薬剤師業務に支障が出ます。必ず荷物と一緒に預けるか、郵送しましょう。


離島でも学会発表はできる

「離島にいるから学会発表なんてできない」と思っていませんか?

全く違います。

私は沖永良部島に勤務しながら、以下の発表・研究活動を行いました。

  • 第24回日本静脈経腸栄養学会 ポスター発表
  • 第19回日本医療薬学会 ポスター発表
  • 第7回鹿児島NST研究会 口頭発表
  • NST専門療法士(NST専門薬剤師)認定取得
  • 週刊薬事新報への原稿掲載

「大きな病院にいるから発表できる、小さな病院・離島にいるから発表できない、ということはない!」

これは今でも確信を持って言えることです。


医療薬学会での一言が、今の自分を作った

医療薬学会で発表した時のこと。

自分の発表を聞いてくださった薬剤師の先生から、こんな言葉をいただきました。

「先生は、若手薬剤師の見本ですね。いろいろなことにどんどん挑戦していってください。」

この言葉が今でも、私のモチベーションの源になっています。

離島という環境の中でも諦めずに挑戦し続けたことが、人との出会いにつながり、力をもらえた。

「やる気があれば、どこでも何でもできる!」

これが私の信念です。


まとめ

  • 離島では薬剤師業務の全てを幅広く担う「なんでも屋」になれる
  • グループの仲間が困った時は必ず助けてくれる
  • 方言がわからなくても、島の人が助けてくれる
  • 飛行機応援時ははさみ没収注意!
  • 離島でも学会発表・研究活動は十分できる
  • 挑戦し続けることが、人との出会いと成長につながる

次回は、離島医療の「退院後も続く患者さんとの関係」についてお話しします。


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「島から出られない」閉塞感と本音④ 

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2026年6月7日日曜日

離島薬剤師の本音|「島から出られない」閉塞感とそれでも続けた理由【離島医療シリーズ④】

こんばんは、田浦マインドです。

離島医療シリーズ第4回は、離島薬剤師の「悩みと閉塞感」について正直にお話しします。

良いことばかりではありません。離島勤務のリアルな辛さも、包み隠さずお伝えします。


離島薬剤師の悩み【交通・情報編】

交通機関が天候に左右される

船も飛行機も、悪天候で欠航します。「今日帰れるかな」「薬は届くかな」という不安は、都市部ではほぼ経験しないものです。

情報量が少ない

離島は本土に比べて、どうしても情報量が少なくなります。最新の医薬品情報、学会発表、研究会——情報を得るために本土に出ていかなければならない機会が多い。

学会・勉強会に参加しにくい

離島から学会に行くには、前泊・後泊が必要になることも多く、移動だけで1〜2日かかります。「勉強したいのに、なかなか行けない」という葛藤がありました。

薬がすぐに手に入らない

前回お話しした通りです。救急で必要な薬が手元にない——この緊張感は離島にいる間、ずっとありました。


離島薬剤師の悩み【精神的・環境編】

モチベーションが続きにくい

人員が少なく、業務の幅も限られてくると、「自分は成長しているのか」という不安が湧いてきます。

閉塞感がある

これが一番きつかったかもしれません。

「島から出られない。この生活が一生続くのかという」という気持ち。

特に長く離島に勤務していると、「都会の病院に戻れないんじゃないか」「オーダリングシステムや電子カルテから遠ざかっていく」という焦りがありました。

特診が週末に多い

離島では、専門医が定期的に来島して診察する「特診(特別診療)」という形態があります。これが週末に集中しがちなため、休みを取りにくい状況が続きました。


Dr.コトーのモデルの先生も言っていた

鹿児島県下甑島で30年間離島医療を支えた、Dr.コトーのモデルとなった先生がこんな言葉を残しています。

「半年のつもりが、もう半年、もう半年と延びていく中で、自分はこのままここで終わってしまうのではないかという気持ちを抑えることが一番つらかった。それでも、これもやろう、あれもやろうと自分の挑戦を続けたことが自分を支えてきました」

——これは薬剤師である私自身の気持ちとも、完全に重なります。


自分が経験した閉塞感

沖永良部病院から山川病院(僻地の病院)に転勤した時のことです。

「常勤薬剤師がいなくなるから、半年だけ来てほしい」という約束で転勤しました。

しかしその約束をした事務長は栄転され、「半年でいい」という話を知っている人はもうどこにもいない——。

「関西にいつ帰れるんだろう…」

「半年のつもりがもう半年もう半年と延びていく中で、このまま都会に戻れないんじゃないかという気持ちがツラかった。それでも、みんなで勉強会や研修会を企画しよう、臨床研究もやろう、薬剤師を探しに就職説明会にも行こう、と自分の挑戦を続けたことが自分を支えてきたと思っています。」

これが、私の正直な気持ちでした。


それでも離島に行って良かった

辛いことをたくさん書きましたが、それでも——離島に行って、本当に良かったと思っています。

  • 自分で考えて動く力がついた
  • 全国から来た医師・研修医・看護師・薬剤師の仲間ができた
  • 臨床の現場を幅広く経験できた
  • 不便な状況下での工夫と柔軟な思考が身についた

この2年間が、今の自分の薬剤師としての土台になっています。


まとめ

  • 交通・情報・薬の入手困難など、環境的な悩みは多い
  • 「島から出られない」閉塞感は、長期勤務になるほど重くなる
  • しかし、その中で「それでも前に進もう」と選んだことが成長につながった
  • 辛い経験があるからこそ、今の自分がある

次回は、離島での「幅広い業務経験」と、それが薬剤師としての成長にどうつながったかをお話しします。


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深夜5時のオンコール「心筋梗塞の患者が来た!」③ 

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