2026年6月13日土曜日

DMAT・JMAT・TMAT・日薬…災害医療チームを全部わかりやすく解説【災害医療シリーズ②】

 こんばんは、田浦マインドです。

「DMATって何?JMATとどう違うの?」

災害のニュースを見ていると、さまざまな略称が出てきて混乱しますよね。今回は災害医療を担う各チームを、薬剤師の視点から整理してお伝えします。


災害フェーズと医療チームの役割分担

まず大前提として、災害医療は「フェーズ(時期)」によって必要な医療の中身が変わります。

  • 超急性期(〜24時間):生命救助最優先。DMAT・日赤が稼働
  • 急性期(〜72時間):医療資源の集中、広域搬送調整
  • 亜急性期(〜1ヶ月):避難所医療開始、慢性疾患管理。JMAT・TMATが活躍
  • 慢性期(1ヶ月〜):仮設住宅移行、在宅支援再構築、災害関連死予防

薬剤師はどのフェーズでも活動できますが、特に亜急性期以降の慢性疾患管理・服薬継続支援において力を発揮します。


DMAT(ディーマット)

Disaster Medical Assistance Team(災害派遣医療チーム)

「災害の急性期(48時間以内)」に活動するために、専門的な訓練を受けた機動性のある医療チームです。

厚生労働省が実施する「日本DMAT隊員養成研修」を修了した医師・看護師・調整員で構成され、原則4人1チーム。

主な活動は、被災地内でのトリアージ・応急治療・搬送、SCU(広域搬送拠点)での医療支援、広域搬送の調整などです。

発災後3日目以降になると、急性期の活動を終えたDMATは現地からの撤退を検討し始めます。

急性期の活動がメインですが、現在は、活動時期が広範囲になりつつある傾向にあります。


JMAT(ジェイマット)

Japan Medical Association Team(日本医師会災害医療チーム)

DMATが撤退するタイミングで入れ替わるように被災地へ入り、現地の医療体制が回復するまで地域医療を支える組織です。東日本大震災を機に発足し、1,300チーム以上を派遣した実績があります。

「DMATが急性期→JMATが亜急性期以降」 というバトンタッチの関係です。


日本赤十字社

急性期から慢性期まで幅広く対応する組織です。全国で約500班(約7,000人)の救護班を編成しており、救護所の設置、避難所での診療、こころのケア活動などを担います。


TMAT(ティーマット)

Tokushukai Medical Assistant Team(徳洲会医療救援隊)

私が所属する徳洲会グループの医療支援組織です。

1995年の阪神淡路大震災を契機に発足し、2005年にNPO法人化。以来、国内19回・海外21回(難民支援含む)の計40回以上の災害に派遣、1,300名を超える医療スタッフが活動してきました。

東日本大震災では2ヶ月間で903名を派遣し、15,677名を診療——民間最大規模の支援活動を行いました。

TMATの最大の特徴は「迅速で柔軟な組織」であること。大規模災害が起これば当日か翌日には現地に駆けつけ、医療支援活動を開始します。そして薬剤師もチームの重要な一員として活動します。


日本薬剤師会

日本薬剤師会が組織する災害支援チームです。

急性期〜亜急性期において、避難所・救護所での調剤、服薬相談、お薬手帳の収集、医薬品供給の調整などを担います。熊本地震・西日本豪雨・能登半島地震でも実績があります。

薬局薬剤師の立場から医薬品供給・服薬管理を支援するチームとして、薬剤師に最も身近な災害支援組織です。


その他の専門チーム

DPAT(ディーパット):Disaster Psychiatric Assistance Team。精神疾患患者の継続ケア・PTSD予防介入を担う精神科医療チーム。

DHEAT(ディーヒート):Disaster Health Emergency Assistance Team。保健所職員を中心とした公衆衛生チーム。避難所の衛生環境管理・感染症対策を担当。

DCAT(ディーキャット):Disaster Care Assistance Team。要配慮者(高齢者・障害者)の支援・福祉避難所の運営を担う社会福祉士・介護士チーム。


薬剤師はロジスティックの専門家としても活動

「ロジスティック(logistic)」という言葉があります。元来は戦場における後方支援——必要物資や情報などの管理・調達のことです。

災害医療においても同様で、最前線の医師や看護師に対して、薬剤師や事務員の任務がこれに当たります。

薬剤師は医療専門職でありながら、ロジスティックにも関わることができる——この特性が、災害医療の中で改めて重要視されつつあります。

「薬剤師という狭い枠だけでなく、医療人として何をすべきか、何ができるかをその場で実践していくこと」——これが災害現場での薬剤師の姿勢だと、私は熊本・能登の経験から確信しています。


まとめ

チーム活動時期主な役割
DMAT超急性期〜48時間トリアージ・搬送・被災病院支援
日赤急性期〜慢性期救護所・避難所診療・こころのケア
TMAT急性期〜亜急性期仮設診療所・巡回診療(薬剤師も活躍)
JMAT亜急性期〜地域医療支援・慢性疾患管理
日薬JAT急性期〜亜急性期医薬品供給・服薬管理
DPAT急性期〜慢性期精神科医療・PTSD対応

次回は、私が実際に参加した熊本地震のTMAT活動について、リアルな体験談をお伝えします。


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災害医療とは何か① 

薬剤師の話ブログ(専門情報)

2026年6月12日金曜日

災害医療とは何か?救急医療との「決定的な違い」を病院薬剤師が解説【災害医療シリーズ①】

 こんばんは、田浦マインドです。

今回から「災害医療シリーズ」をスタートします。

私は熊本地震(2016年)と能登半島地震(2024年)に災害派遣薬剤師として参加し、現在は徳洲会グループ薬剤師災害医療研究会の委員長を務めています。

「災害医療って、救急医療の規模が大きくなったものでしょ?」——そう思っている方、少し待ってください。この勘違いが、いざという時に命取りになります。


災害医療の定義

災害医療とは、地震・津波・豪雨・火山噴火・大規模事故などにより、対応する側の医療能力を上回るほど多数の医療対象者が発生した際に行われる医療のことです。

一言で言えば、**「需要と供給のバランスが崩れた状態での医療」**です。


救急医療との決定的な違い

救急医療と災害医療は、根本的に異なります。

救急医療は、患者に対して十分な医療を供給できる環境下で行われる「日常的な医療」の一部です。医療関係者の手により「患者にとって必要なすべての医療」が提供されます。

災害医療は、急激な傷病者の増加に医療供給が全く追いつかない状況下で行われます。電気・水道などのインフラも被災し、停電・断水の中、医薬品の供給もストップするという、想像以上に過酷な状況です。

ここが重要なポイントです。

災害医療では、最初から「患者にとって必要なすべての医療を提供すること」は不可能です。

これは患者さんにもきちんと説明しなければなりません。


「単純に規模が大きくなっただけ」という勘違いが命を奪う

救急医療の規模が大きくなったものが災害医療だ、と勘違いすると——実際の現場に出た時に救えたはずの命が失われかねません。

例えばトリアージ(重症度分類)。

救急医療では、一人の患者につき2〜3分をかけてトリアージを行います。

しかし災害医療では、60人の患者が一度に来た場合、1人に1分かけると60番目の患者は到着後1時間以上、重症か軽症かもわからない状態で放置されることになります。実際の災害では患者数が60人で済むはずもなく、その後に診察・応急処置・手術が続くのです。

だから災害医療では、1人あたり30秒以内でトリアージを完了できるよう、「START式トリアージ」という簡素化された方法が使われます。


災害医療のトリアージ区分

トリアージとは、患者の重症度に基づいて治療の優先度を決定することです。

区分は4つ。

  • 赤(Ⅰ:緊急) 生命・四肢に危険な状況で直ちに処置が必要
  • 黄(Ⅱ:準緊急) 2〜3時間処置を遅らせても悪化しない程度
  • 緑(Ⅲ:軽症) 軽度外傷、通院治療が可能な程度
  • 黒(0:死亡) 生命兆候のないもの

これは非常に合理的なようで、実はとても辛い判断が求められます。「全員を平等に救おうとすると、全員を救えなくなる」——これが災害医療の根本にある哲学です。


72時間の壁

もうひとつ知っておくべき重要な概念が「72時間の壁」です。

発災後72時間を超えると、発見される被災者の救命率は大幅に低下します。

しかし——72時間を過ぎたら災害医療が終わるわけではありません。

むしろ72時間以降は、医療ニーズの「中身」が変わります。急性外傷の患者が減り、代わりに**慢性疾患の悪化(高血圧・糖尿病・認知症)や精神的疾患(不安・不眠)**が主体になってきます。

熊本地震では「関連死」が直接死の約4倍に達しました。直接死50人に対し、関連死は218人。

薬を飲めなかった、避難所の環境が悪かった、エコノミークラス症候群になった——こうした「直接の被害ではない死」を防ぐことが、72時間以降の最大の使命になるのです。


日本の災害医療を担う組織

国内で全国規模の災害医療能力を持つのは、自衛隊と日本赤十字社の2組織だけです。

これ以外に、平時から専門訓練を受けた医師・看護師が組織するDMAT(災害派遣医療チーム)が急性期に活動し、72時間以降にはJMAT(日本医師会災害医療チーム)が引き継ぎます。

私が所属する徳洲会グループのTMAT(徳洲会医療救援隊)は民間の医療支援団体として、阪神淡路大震災以降、国内外計40回以上の災害に派遣されています。


まとめ

  • 災害医療とは「需要と供給のバランスが崩れた状態での医療」
  • 救急医療とは根本的に異なる——すべての患者に最善の医療は提供できない
  • トリアージは30秒以内の判断が求められる
  • 72時間の壁:それ以降は慢性疾患管理・関連死予防が主戦場になる

次回は、災害医療を支える各チーム(DMAT・JMAT・TMAT・日薬など)の役割を詳しく解説します。


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離島医療シリーズ 

薬剤師の話ブログ(専門情報)

2026年6月11日木曜日

離島勤務が土台になった——熊本地震・災害医療へ【離島医療シリーズ⑧・完結】

 こんばんは、田浦マインドです。

離島医療シリーズ最終回は、離島・僻地での勤務経験が「その後の自分」にどうつながったかをお伝えします。


離島から災害医療へ

2016年4月、熊本地震が発生しました。

私が現在の病院に赴任して1年ほど経った頃です。

救急科の医師から声がかかりました。「明日から熊本地震の支援に行きたい。薬剤師も必要だ。一緒に来てほしい。」

迷わず「はい、力にならせてください」と二つ返事しました。


なぜすぐに「はい」と言えたのか

鹿児島・離島・僻地で10年間勤務した経験が、私を即答させてくれたと思っています。

  • 薬が届かない状況での対応経験
  • 一人で全ての業務を判断してきた経験
  • 予測不能な事態に柔軟に対応してきた経験

離島勤務は、ある意味で「小さな災害」の連続でした。

年末年始に薬が入ってこない。台風で欠航が続く。深夜に急変患者が来る。島に薬剤師が自分一人しかいない——。

こうした経験が積み重なって、「どんな状況でも何とかしてみせる」という自信になっていました。


離島勤務が私の薬剤師としての土台

振り返ると、沖永良部島・山川病院での合計6年間の離島・僻地勤務は、私の薬剤師人生の根っこになっています。

自分で考える力 答えをすぐに誰かに聞けない環境で、自分で調べ、判断し、行動する習慣がついた。

幅広い業務知識 DI・発注・棚卸し・麻薬管理・病棟・NST——全てを一人でこなしたことで、薬剤師業務の全体像が見えるようになった。

人とのつながり 全国から応援に来た医師・看護師・薬剤師との出会いが、今も続く大切な財産になっている。

挑戦する姿勢 「離島にいるからできない」ではなく「どんな環境でも挑戦できる」という信念が生まれた。


薬学生・就活生へ——離島・僻地勤務を選択肢に

「離島勤務」と聞くと、不安や抵抗を感じる方もいると思います。

でも、あの2年間がなければ今の自分はありません。

閉塞感や孤独感、薬が届かない不安……辛い経験もたくさんありました。それでも振り返れば、全てが宝物です。

「やる気があれば、どこでも何でもできる!」

これが、私が離島から学んだ最大のメッセージです。

もし離島・僻地勤務に少しでも興味があれば、ぜひ一度見学や短期応援から体験してみてください。必ず、あなたの薬剤師人生の大きな糧になると思います。


離島医療シリーズ 全記事まとめ

全8回にわたってお届けした「離島医療シリーズ」はこれで完結です。

① 沖永良部島で薬剤師として働いた2年間 

② 離島に薬が届かない!薬の欠品危機 

③ 深夜5時のオンコール「心筋梗塞の患者が来た!」 

④ 「島から出られない」閉塞感と本音 

⑤ 離島薬剤師は「なんでも屋」!幅広い業務と成長 

⑥ 「退院はゴールじゃない」地域医療の原点 

⑦ 徳洲会グループが離島医療を支える仕組み 

⑧ 離島勤務が土台になった——熊本地震・災害医療へ(本記事)

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!


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徳洲会グループが離島医療を支える仕組み⑦ 

病院薬剤師の1日スケジュール 

薬剤師の転職・キャリアの話 

薬剤師の話ブログ(専門情報)

2026年6月10日水曜日

徳洲会グループが離島医療を支える仕組み【離島医療シリーズ⑦】

 こんばんは、田浦マインドです。

離島医療シリーズ第7回は、私が所属していた徳洲会グループが離島医療をどのように支えているかについてお伝えします。

「なぜ離島でもあれほどの医療ができるのか?」——その裏側に迫ります。


徳洲会グループの創設者と離島の深いつながり

徳洲会グループの創設者・徳田虎雄先生は、鹿児島県の離島・徳之島のご出身です。

先生が小学3年生の時、3歳の弟が夜中に医師に診てもらえず亡くなりました。

この経験から「貧乏でも、たとえ真夜中でも、患者さんを診る医師になる」と決心し、医師になり徳洲会グループを創設されました。

「徳洲」という言葉自体が「徳之島」を指す言葉でもあります。

離島医療への強いこだわりは、グループの原点そのものです。


全国92病院の中に離島・僻地20病院

徳洲会グループは全国に92病院を展開しています。

そのうち離島11病院・僻地9病院、合わせて20の離島・僻地病院があります。

屋久島・種子島・徳之島・沖永良部・与論・宮古島・石垣島など、鹿児島〜沖縄にかけての離島に多くの病院が点在しています。


毎月40名の薬剤師が応援に行く

薬剤師が充足していない離島・僻地の病院には、グループ内から応援薬剤師を定期的に派遣する仕組みがあります(原則2ヶ月交代)。

その規模は——毎月約40名。

  • 2022年度:22病院・40枠・12,810日

これだけの人数が継続的に応援に行くことで、離島の医療が成り立っています。

「僻地・離島医療は、徳洲会の大きな使命」——この言葉は、数字が証明しています。


「徳洲号」というセスナ機がある

徳洲会グループには**「徳洲号」**と呼ばれる6人乗りのセスナ機があります。

離島の各病院が維持コストを分担して所有するこのセスナは、主に救急患者の移送や定期便欠航時の医師移動に活躍しています。


2つの離島運営方式の違い

離島医療の運営方式には大きく2つのアプローチがあります。

①A方式:「初期治療して本土へ送る」

  • 手術設備なし、CT程度の設備
  • 重症患者はすぐに内地の病院へ搬送
  • 医師確保がしやすい

ただし患者さんは「内地に行ってください」と言われ続け、経済的・精神的負担が大きい。悪天候時には搬送できず、命の危機になることも。

②徳洲会方式:「医療を島で完結させる」

  • CT・MRI・手術設備を整備
  • できる限り島内で治療を完結させる
  • 必要最小限の患者だけ島外搬送

患者さんが島を離れる必要がなく、安心して暮らせる。ただし医師の確保が難しく、高いスキルが求められる。

島民にとってはもちろん「島で医療が完結する」方式の方が安心できます。徳洲会はこの難しい道を選んでいます。


連携の強さが離島医療を救う

私自身、離島勤務中に何度も「グループの仲間に助けられた」と感じました。

わからないことがあれば他のグループ病院に相談できる。書類作成や監査対応も仲間がサポートしてくれる。

「困った時は助け合う」——このグループ文化があったからこそ、離島でも安心して挑戦できました。


まとめ

  • 徳洲会グループの創設者・徳田虎雄先生自身が離島出身
  • 全国92病院のうち20病院が離島・僻地
  • 毎月約40名の薬剤師が応援に行く仕組みがある
  • 「医療が島で完結する」方式を目指すのが徳洲会の理念
  • グループの横のつながりが離島勤務を支えている

次回は、離島勤務を経て熊本地震の災害医療支援に参加した経験についてお伝えします。


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「退院はゴールじゃない」離島で学んだ地域医療の原点⑥ 

薬剤師の話ブログ(専門情報)

2026年6月9日火曜日

「退院はゴールじゃない」離島で学んだ地域医療の原点【離島医療シリーズ⑥】

 こんばんは、田浦マインドです。

離島医療シリーズ第6回は、離島で感じた「医療の原点」についてお伝えします。

私が離島勤務を通して一番変わったこと——それは患者さんとの関わり方への考え方です。


急性期病院での医療の限界

都市部の急性期病院で働いていた頃、私の中の「ゴール」は患者さんの退院でした。

入院してきた患者さんに薬を届け、服薬指導をして、無事に退院してもらう。退院してくれたら「よかった」と一息つく——それが当たり前の感覚でした。

でも、退院後どうなるかは、あまり深く考えていなかった。

急性期病院では、入院したと思ったらもう2週間後には退院。その間にどれだけ関われたか、どれだけのことをしてあげられたか……というもどかしさはありながらも、次の患者さんが来るという繰り返しの毎日。


離島では「退院≠ゴール」

沖永良部島で働いて、この感覚が大きく変わりました。

島では、患者さんは退院した後も同じ島に暮らし続けます。外来に来る時も、在宅になった時も、ずっと同じ顔ぶれです。

退院後に「あの患者さん、今どうしてるかな」と自然に気になる。

島で顔を合わせれば「最近調子はどう?」と声をかけ合える。

いつの間にか、患者さんが家族の一員のような存在になっていました。


お母さんのお腹の中から、看取りまで

離島医療の理想形として、こういう言葉があります。

お母さんのお腹の中にいる時から出会い、生まれ、時には入院し、退院後も外来や在宅医療を通じて、ずっと患者さんとの関わりは続いていく。

①産まれる → ②病気が見つかる → ③治療 → ④終末期 → ⑤看取り

この全てのステージに、同じ医療従事者が関わり続けられる——それが離島医療の原点です。

人口が限られているからこそ、人との関わりと結びつきが都会とは比べ物にならないほど深くなります。


島では産婦人科も守り続けた

沖永良部病院では、産婦人科が存続の危機を迎えたことがありました。

常勤の産婦人科医が高齢となり、代わりの常勤医が確保できないという理由で、産婦人科休止の方針が出されたのです。

「島の産声を守る会」が署名活動を始め、行政への支援要請も行われました。

しかし実際に常勤医を探し奔走したのは当時の院長先生自身であり、徳洲会グループの産婦人科医が3〜7日おきに応援に来ることで何とか運営を続けました。

行政の補助を受けずに、医師たちの情熱と徳洲会グループの団結で守り続けた産婦人科——この話は、今でも私の胸に刻まれています。


「飲みニケーション」の原点がここにある

少し話は変わりますが、離島での人間関係について。

最初は奥手だった島の人も、お酒を一緒に飲めばすぐに友達になります。

飲み会が多い、歓送迎会がある、応援に来た医療スタッフとご飯を食べに行く——仕事とプライベートの境界が自然と薄れていきます。

限られた空間の中で人と深く付き合えることは、離島勤務の大きな魅力のひとつ。

ゲレンデマジックならぬ「島マジック」という言葉もあるくらいです(笑)。解放的な自然の中で、普段は気にもしなかった人がとても輝いて見える——離島や応援先で恋人ができることも、意外と多いのです。


まとめ

  • 都市部の急性期医療では「退院がゴール」になりがち
  • 離島では退院後もずっと患者さんと関わり続ける
  • 産まれてから看取りまで、生涯にわたって寄り添える医療
  • 人口が少ない分、人との結びつきが深く温かい
  • 「島マジック」が生まれるほど、人と深く関われる環境

次回は、離島医療を支える組織・徳洲会グループの仕組みについてお伝えします。


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