こんばんは、田浦マインドです。
離島医療シリーズ第6回は、離島で感じた「医療の原点」についてお伝えします。
私が離島勤務を通して一番変わったこと——それは患者さんとの関わり方への考え方です。
急性期病院での医療の限界
都市部の急性期病院で働いていた頃、私の中の「ゴール」は患者さんの退院でした。
入院してきた患者さんに薬を届け、服薬指導をして、無事に退院してもらう。退院してくれたら「よかった」と一息つく——それが当たり前の感覚でした。
でも、退院後どうなるかは、あまり深く考えていなかった。
急性期病院では、入院したと思ったらもう2週間後には退院。その間にどれだけ関われたか、どれだけのことをしてあげられたか……というもどかしさはありながらも、次の患者さんが来るという繰り返しの毎日。
離島では「退院≠ゴール」
沖永良部島で働いて、この感覚が大きく変わりました。
島では、患者さんは退院した後も同じ島に暮らし続けます。外来に来る時も、在宅になった時も、ずっと同じ顔ぶれです。
退院後に「あの患者さん、今どうしてるかな」と自然に気になる。
島で顔を合わせれば「最近調子はどう?」と声をかけ合える。
いつの間にか、患者さんが家族の一員のような存在になっていました。
お母さんのお腹の中から、看取りまで
離島医療の理想形として、こういう言葉があります。
お母さんのお腹の中にいる時から出会い、生まれ、時には入院し、退院後も外来や在宅医療を通じて、ずっと患者さんとの関わりは続いていく。
①産まれる → ②病気が見つかる → ③治療 → ④終末期 → ⑤看取り
この全てのステージに、同じ医療従事者が関わり続けられる——それが離島医療の原点です。
人口が限られているからこそ、人との関わりと結びつきが都会とは比べ物にならないほど深くなります。
島では産婦人科も守り続けた
沖永良部病院では、産婦人科が存続の危機を迎えたことがありました。
常勤の産婦人科医が高齢となり、代わりの常勤医が確保できないという理由で、産婦人科休止の方針が出されたのです。
「島の産声を守る会」が署名活動を始め、行政への支援要請も行われました。
しかし実際に常勤医を探し奔走したのは当時の院長先生自身であり、徳洲会グループの産婦人科医が3〜7日おきに応援に来ることで何とか運営を続けました。
行政の補助を受けずに、医師たちの情熱と徳洲会グループの団結で守り続けた産婦人科——この話は、今でも私の胸に刻まれています。
「飲みニケーション」の原点がここにある
少し話は変わりますが、離島での人間関係について。
最初は奥手だった島の人も、お酒を一緒に飲めばすぐに友達になります。
飲み会が多い、歓送迎会がある、応援に来た医療スタッフとご飯を食べに行く——仕事とプライベートの境界が自然と薄れていきます。
限られた空間の中で人と深く付き合えることは、離島勤務の大きな魅力のひとつ。
ゲレンデマジックならぬ「島マジック」という言葉もあるくらいです(笑)。解放的な自然の中で、普段は気にもしなかった人がとても輝いて見える——離島や応援先で恋人ができることも、意外と多いのです。
まとめ
- 都市部の急性期医療では「退院がゴール」になりがち
- 離島では退院後もずっと患者さんと関わり続ける
- 産まれてから看取りまで、生涯にわたって寄り添える医療
- 人口が少ない分、人との結びつきが深く温かい
- 「島マジック」が生まれるほど、人と深く関われる環境
次回は、離島医療を支える組織・徳洲会グループの仕組みについてお伝えします。
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